2011年5月 

自科学部 2011TARC 報告
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現地の方が撮影した大会の様子 
■flickrより http://www.flickr.com/photos/aia-aerospace/5727011476/in/set-72157626717526432
世界へ挑戦
自然科学部 教諭 原田 信雄

 1969年7月20日は、ニール・アームストロング船長がアポロ11号による月面着陸を果たした日である。テレビでの生中継を固唾を飲んで見ていたのは私が10代後半の時であった。その月面に降りた第一歩を有名な言葉で残している。『私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍の一歩である。』まさしく米国が宇宙開発における頂点に立った瞬間でもあった。それ以来、合計12名の宇宙飛行士が月面活動をしている。いまだかって他の国が月面に降り立った例はない。今回の大会はそのアメリカでの最大のロケット競技会である。その会場に岩手高校の選手が同じルールで現地高校生とロケット技術を競い合ったのである。
 渡米に関してはハードルが幾つかあった。まず東日本大震災の影響であった。早めの渡航準備をしてたのは良かったが、津波により仙台空港が使用不可能になった。仙台空港から成田国際空港、そして、会場ワシントンへとすでに空路の予約を取得済みであった。その最初に躓いたわけである。飛行機のチケットは搭乗してもしなくても定刻には飛び立つ。頼みの新幹線も4月末まで不通であった。大きな余震があればダイヤも乱れ、飛行機に間に合わない可能性が強かった。国内移動が最大の難関であることは思いもしなかった。結局、盛岡から夜行バスでの出発になった。高速道は地震の影響で段差が多くそれもズレが強いので、乗ってみて解ったことであるがバスのサスペンションが壊れるくらい「ガタン、ガタン」と一晩中続いた。当然選手も私も睡眠はほとんど摂れなかった。
2つ目の大きなハードルは、5月に入ってウサマビン・ラディン氏が殺害されたことによる「テロ警戒態勢」が強化されたことである。アメリカ入国がすんなり通ると誰も思えなかった。紙とバルサで造られた物でも、れっきとしたロケットである。それを、3機もトランクに詰め入国しようというのである・端から見れば、「無謀」と言われても仕方がないことをやろうとしていた。入国審査官とのトラブルを想定し、現地大会役員の説明が可能になるよう、携帯電話の番号のメモを持って行った。これをしっかり握って審査官の前に立った。審査官の向こうでは屈強の大型シェパード犬のリードを握った係官が立っている。『ハロー』『ワットユアネーム』『ハウメニーステイー・・・インUSA』などと、通り一遍のことしか聞かれなかった。指紋を採って、写真を撮って、ハイ終わり。あまりにも簡単過ぎて、犬の前を通過する時には後から尻をガブリとされそうで気を抜けなかったのを覚えている。選手も全員入国できた時は「なんて寛容な国だろう」と正直思った。この二つのハードルをクリアできた時はもう完全に大会では全力を出し切れると確信できた。
 5月14日大会当日は天気予報通り、今にも雨が降りそうな状況の中で淡々と行われた。開会セレモニーはアメリカ軍旗の行進、いわゆる、アーミーカラーの厳粛な式典から行われた。プロの歌手による「アメージング・グレイス(鎮魂歌)」の独唱で始まった時は霧がかすかにかかり、すばらしい歌声が広大な牧草地の隅々に響き渡った。このような場所にいることが夢のようで非常に印象深く残っている。
 我がIWATEチームのロケットは打ち上げ前の検査、卵、高度計と練習通りこなし、発射台へのセットに向かった。ただ、監督の私はルールにより、射場への同行は叶わなかった。ただ遠くから、無事に打ち上がることを祈るしかなかった。カウントダウンの声ととロケットの噴煙は見ることができた。約1万1千キロメートルも旅をして、ずっと離れた位置からしか見学できないのである。なんて非情なルールであろう。その後、同行記者の動画カメラからの画像で100%以上の完璧な飛翔であったことを確認できた。結果としては84位であったが、選手みんなが力を合わせ、全力でなおかつ、最高の打ち上げを行ってくれたと思っている。選手の表情にも悔いは無く、皆が達成感溢れた笑顔であった。あの緊張状態の中、実力通りの成績を残してくれた選手に「おめでとう」と言いたい。
前夜祭、閉会式のどちらでもスタンディング・オベーションをいただき、現地役員のさまざまなサポートを受け、恵まれた環境の中で競技に専念できたのも幸せであった。
 グレート・メドウでのすばらしい体験は選手を始め私にとっても、一生の宝になると信じている。
 最後になりましたが、チームを支えてくれた多くの人々に感謝を申し上げたい。この大会に参加した選手の貴重な経験が、皆さんに将来どのような結果をもたらしてくれるか、多いに期待もして欲しい。

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